かつおさん家のボケボケ介護日記

はじめまして好子です。アラフィフの会社員です。 高齢の義両親・茂造さん(92歳)と綿子さん(89歳)の介護をする夫・かつおさんのサポートをしております。 ここにグチを吐き出しながら明るく頑張っていきたいと思います。

2024年12月

今日は大晦日。
今年もあっという間に1年が過ぎました。

振り返れば今年のお正月は茂造さんはいぶきの森に入所していたし、綿子さんは佐藤病院に入院していたっけ。
そしてインフルエンザが流行っていて外出禁止になってたんだった。
久しぶりに穏やかなお正月だったっけ。
そして結局綿子さんはそのままいぶきの森へ入所することになって、介護から解放されるのかと喜んだのもつかの間、6月には面会制限がなくなって毎週面会に通う生活に突入。
その上綿子さんは施設内でも骨折するし。
結局ちっとも楽にはならず…。

二人が入所した時にはこのブログもネタ切れで終了かと思いきや、面会に行くたびにしっかりネタを提供してくれるのでまだまだ続きそうです(笑)

こんな拙いブログを読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願いします。
良いお年を!
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12月9日 月曜日

かつおさんは光三さんのお葬式に出席するため休みを取った。
お葬式は滞りなく終わり、しっかり見送ることができたようだ。

そして夕方、いぶきの森へ。
今日は茂造さんの洗濯物だけだから楽勝のはず。
が、今日も便汚染だったそうだ。
またかよ!
このところずーーーっと続いている。
やはりストーマのパウチをワンピースのものに替えたからかしら?
けど元に戻してもまたそれに慣れるのに時間がかかるかも知れない。
そう思うと戻すこともためらわれる。
どっちみち便汚染なら今の安いパウチの方がいいじゃん。
水道代とハイター代がかかるけど。
あと、わたしたちの労力もか。

頼むからいい加減慣れてくれーーー!!
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実家について母から説明を聞いて謎が解けた。
父が物干し場を作ろうとしていた場所は縁側の東の方だったのだが、母が西側に作れと言い出したからだった。
西側の方が日当たりが良い。
なので母の言い分も分かるが、西側は大きな掃き出し窓が並んでいてクギを打てる場所がない。
東側なら柱があるから大丈夫なのだが。
なので違う方法を考えと行けない。
天井と床を突っ張るのはどうかと考えたが縁側の天井は突っ張りに耐えられそうもない。
それじゃ床置きの台を置くか?
けれどそうしたら縁側を通る時に邪魔になると言う。
父が夜中にトイレに行くときにこの縁側を通るそうだ。
じゃあやっぱり無理じゃん。
縁側の東側で我慢しろよ。
ということで初めの父の案のとおり、東側に板を打って竿を吊るして物干し場を作ったのだった。

母はこうして欲しいと意見を言うばかりで、実際作ることはしないので簡単にできると思っている節がある。
西側に物干し場を作るのは素人には無理だ。
父はそれが分かるが上手に説明できない。
なので母はわたしに頼めばできると思っていたのだ。

二人の老化を実感した。
やれやれ。
こっちの二人も大分きてるなぁ。
これからますます手がかかりそうだ。
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夕方、みんなで光三さんのお通夜に行ってきた。
光三さんは数えで97歳。
大往生だ。
お通夜に集まったのはついこの間の米さんの葬儀に来られていた人たちばかりだ。
光三さんは末っ子だったので兄弟はみなすでに亡くなっているし、甥や姪もみな高齢なので連絡は控えたそうだ。
ちょっと寂しい気もするがそのくらい長生きしたとういう事かな。
棺の中の光三さんはいつものように穏やかな顔をしていた。
本当に今までお世話になりました。
ありがとうございました。

お通夜から戻ると急いで着替えてかつおさんと実家へ向かった。
実は母からヘルプの電話がかかってきていた。

母は数日前から足に痛みが出て歩くことは出来るが階段の上り下りだ出来なくなっていた。
母は洗濯が好きで毎日せっせと洗濯するのだけれど物干し場は2階のベランダだ。
そこへ行けなくなってしまったのだ。
そこで1階の南側の縁側に竿を吊るして洗濯物を干すようにしようと考えたそうだ。
昨日、買い物同行のため実家へ行ったら父がよろよろしながら作業をしていた。
「手伝おうか?」と言ったのだけど「いや大丈夫や」と言うので帰って来たのだが、上手くいかなかったようだ。
それで「何とかしてくれ」と連絡が来たのだった。
という訳でかつおさんと駆けつけることとなったのだ。

母からの電話を受けた後、なんで上手くいかなかったんだろう?と不思議に思った。
昨日父から「ここに板を打ってそれに紐をかけるんや」と、どのようにするのか聞いていた。
なるほど、それなら簡単だし父一人でも大丈夫だろうと思ったので手伝わずに帰ったのに。
なのになんで上手くいかなかったんだろう?
ま、行けば分かるだろう。
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綿子さんはたい焼きを食べ終え甘酒を飲み干すとまた正月の事を言い出した。

綿「かつお、正月は家に帰れるんやろが。姉さんの仏さん参りにも行きたいし、私、何日か泊まろうと思うんや」

「泊る?それはムリや!」

綿「そんな事ないわ。大丈夫や」

大丈夫な訳ないじゃないか。
そんなこと我々のサポートなしじゃ絶対無理じゃん!
3食の食べる事だって綿子さん一人ではどうにもならないじゃないか。
自分でタクシーを呼んで買い物に行くならいいがそんなこと絶対しないではないか。
それに今、綿子さんの家は住んでいた頃のように手すりがある訳ではない。
あれは介護保険を使ってレンタルしていたので入所したため返却しなくてはならなかった。
なのでトイレにも手すりはもうない。
段差だらけの家で危険がいっぱいだ。
なので家に連れて帰ったら目を離せないのだ。
泊りとなったら誰かあの家に一緒に泊まらないといけないじゃないか。
典さんが帰省して泊ってくれるならいいがまだ典さんの予定も分からない。
かつおさんは絶対嫌だと拒否っているので泊りはなしだ。
ほんと簡単に大丈夫と言わないでほしい。
お正月は家に連れて帰ってあげたいとは思うが泊りは絶対無理です!
勘弁してください。
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