大掃除の続きの前にちょっとフネさんの晩年のことを。
フネさんは晩年、徐々に足腰が弱っていった。
一度家の中で転んでからは這って移動するようになり、そのうちほぼ寝たきりに、そして寝たきりになった。
お風呂はデイサービスに行って入っていた。
トイレは部屋にポータブルトイレを置くようにしていたが、それも徐々に使えなくなりオムツ生活となった。
そのお世話は綿子さんがほぼ一人で行っていた。
わたしやかつおさんは仕事や子育てに忙しくほとんど手伝うことはなかった。
茂造さんも全く手伝ってなかったと思う。
それに茂造さんの兄弟も全く手伝うことはなく、フネさんの娘の梅ちゃんも時々フネさんに会いに来たのだが、オムツを替える訳でもなく「姉さん、ありがとうな」と礼を述べるのみだった。
しかも「ばあちゃんを施設に入れるんだけは止めてな」と毎回言っていた。
口を出すなら手も出せよ!と思うのだが綿子さんは何も言わなかった。
一度梅ちゃんにフネさんを預けたことがある。
フネさんがまだ自分でトイレに行って用を足せていた時の事。
農繁期は忙しいので5日ほどショートステイに預けていた。
けれど結構お金がかかる。
そこで梅ちゃんちでフネさんの面倒をみてもらったのだ。
久しぶりに親子で過ごせていいだろうと思ったが、なかなか大変だったようだ。
二度と預かってくれなかった。

そんなことがあったので綿子さんも梅ちゃんには何の期待もしなかったようだ。
そしてこの頃から綿子さんの性格と言うか顔つきと言うかなんと言ったらいいのか雰囲気が変わっていった。
しょっちゅう、うちに来てフネさんの悪口や茂造さんの悪口を言うようになった。
わたしやかつおさんがいないと孫の翔ちゃんやハルちゃんを相手にグチを垂れ流していた。
「こうすればいいんじゃない?」とか「これを使ってみれば?」と少しでも楽になりそうな提案をしてもなんだかんだ言って自分のやり方を変えない。
「そんなに大変なら施設にお願いしたらどう?」と言っても「お金がようけ要るが」と言って却下された。
わたし達もだんだん足が遠のいてしまった。
フネさんの様子を見に行きたいが綿子さんがいい顔をしないので行きづらくなった。
普段の生活と違うことがあるとペースが乱れ、介護する人はかえって大変になる事は実家の両親を見ていて知っていた(昔、介護保険も無かったころ、家で寝たきりの祖母の介護をしていた)のでどうしても遠慮してしまった。
なので今でもこのことは少し後悔している。
綿子さんに遠慮したためフネさんは寂しい最後だったんじゃないだろうか?
もっともっと顔を見に行けばよかった。
そしてもっと二人の間を取り持つことはできなかったのか?
今更後悔しても遅いが悔いが残っている。
だからこそ茂&綿の介護は悔いが残らないよう、できることはやっていきたいと思う。
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フネさんは晩年、徐々に足腰が弱っていった。
一度家の中で転んでからは這って移動するようになり、そのうちほぼ寝たきりに、そして寝たきりになった。
お風呂はデイサービスに行って入っていた。
トイレは部屋にポータブルトイレを置くようにしていたが、それも徐々に使えなくなりオムツ生活となった。
そのお世話は綿子さんがほぼ一人で行っていた。
わたしやかつおさんは仕事や子育てに忙しくほとんど手伝うことはなかった。
茂造さんも全く手伝ってなかったと思う。
それに茂造さんの兄弟も全く手伝うことはなく、フネさんの娘の梅ちゃんも時々フネさんに会いに来たのだが、オムツを替える訳でもなく「姉さん、ありがとうな」と礼を述べるのみだった。
しかも「ばあちゃんを施設に入れるんだけは止めてな」と毎回言っていた。
口を出すなら手も出せよ!と思うのだが綿子さんは何も言わなかった。
一度梅ちゃんにフネさんを預けたことがある。
フネさんがまだ自分でトイレに行って用を足せていた時の事。
農繁期は忙しいので5日ほどショートステイに預けていた。
けれど結構お金がかかる。
そこで梅ちゃんちでフネさんの面倒をみてもらったのだ。
久しぶりに親子で過ごせていいだろうと思ったが、なかなか大変だったようだ。
二度と預かってくれなかった。

そんなことがあったので綿子さんも梅ちゃんには何の期待もしなかったようだ。
そしてこの頃から綿子さんの性格と言うか顔つきと言うかなんと言ったらいいのか雰囲気が変わっていった。
しょっちゅう、うちに来てフネさんの悪口や茂造さんの悪口を言うようになった。
わたしやかつおさんがいないと孫の翔ちゃんやハルちゃんを相手にグチを垂れ流していた。
「こうすればいいんじゃない?」とか「これを使ってみれば?」と少しでも楽になりそうな提案をしてもなんだかんだ言って自分のやり方を変えない。
「そんなに大変なら施設にお願いしたらどう?」と言っても「お金がようけ要るが」と言って却下された。
わたし達もだんだん足が遠のいてしまった。
フネさんの様子を見に行きたいが綿子さんがいい顔をしないので行きづらくなった。
普段の生活と違うことがあるとペースが乱れ、介護する人はかえって大変になる事は実家の両親を見ていて知っていた(昔、介護保険も無かったころ、家で寝たきりの祖母の介護をしていた)のでどうしても遠慮してしまった。
なので今でもこのことは少し後悔している。
綿子さんに遠慮したためフネさんは寂しい最後だったんじゃないだろうか?
もっともっと顔を見に行けばよかった。
そしてもっと二人の間を取り持つことはできなかったのか?
今更後悔しても遅いが悔いが残っている。
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